生活的答案

旅行記録ブログ

実録・ツイ廃ジャニオタが山で過ごした半年間

前回の記事で少し触れたように、数年前、ざっくりとユーラシア大陸を横断する長期旅行をした。

長期の旅行に必要なものは、まずは時間。そしてお金。

 

そう、お金!

 

当時勤めていた会社を辞めて旅行に出発する前に、山小屋に勤務して旅行資金を稼いだ期間があった。 

その時のお話です。

 

 

 

当時の私は会社員として働きながら通勤電車で沢木耕太郎深夜特急を読み耽って、長期旅行を夢見ていた。ベタすぎてお恥ずかしい。

節約&節約の貧乏旅行を想定してはいたけれど、それでも長期旅行を実現するにはそれなりにまとまったお金(そして時間)が必要だった。

しかし私は残業代もロクに出ない薄給ブラック企業勤務。

そして都内一人暮らし。しかもオタク。

旅行資金は全然思うようには貯まらず、時間だけが過ぎていた。

 

 

そんな感じで過ごしていたある日、いつものように残業して終電に乗っている時にふと今日が自分の誕生日であることに気が付いた。

残業して、終電の中で誕生日を迎えてしまった。

そのとき急に「そうだ、こんな会社やめよう!!!」と思い至った。

そう決めると急に心がパーッと晴れた。そうだそうだ!こんな会社辞めてやる!そして沢木みたいなハードボイルドな貧乏旅をするんだ!

長くなるのでその辺は割愛するが、少し揉めながらもなんやかんや無事退職した。

 

退職の手続きを進めながら、同時に次のステップについても考えていた。

気持ちとしては最後の出勤のあとそのまま空港へ行って旅立ちたいくらいだけど、この心許ない旅行資金ではそうもいかない。

 

できるだけ早く出発したい。

お金を効率よく貯めるにはどうしたらいいだろうか?

 

考えて考えて、思いついた。

そうだ、お金を使わなければいいんだ!

 

お金を使わない(使えない)環境に身を置けば自動的にお金は貯まる。

そこで思い出したのが、昔読んでいた世界一周ブログに載っていた「旅行資金を貯めるために山小屋で住み込みで働いた」という話だった。

 

山小屋…。

悪くないかもしれない、と思った。

もともと趣味で少し山登りはしていたし、都会の薄汚いオフィスでモニターと睨めっこして疲れた心と眼球を緑が癒してくれるかもしれない。 

そして何より、山に籠もれば無駄な出費をすることもない。

 

ついコンビニでお菓子を買ってしまったり、

遠征して現地のグルメを楽しんで出費がかさんでしまったり、

ジャニショでテンション上がって散財してしまったり、

そういったことは起こり得ない。

オタ活も休止することになってしまうけれど、それは長期旅行中だって同じ。

甘えたことは言っていられない。むしろ良い訓練になるかもしれない。

 

よし、山小屋だ!

 

そう決めると行動は早くて、

中部地方のとある山小屋に履歴書を書いて送り、無事採用された。

採用の連絡の電話で「下界にはしばらく帰れないけど大丈夫ですか?」と覚悟を問われて「問題ないです!!」と元気良く答えたものの、下界というワードの強さに若干尻込みした。

気になってあとで調べたら、山に登る人が“街中”を指すときに普通に使われている言葉らしかった。

 

 

山小屋へ行く少し前、友達に誘ってもらってさいたまスーパーアリーナで開催されたジャニーズJr.祭りへ行った。 

外周を駆け回る大量のジャニーズJr.を見ながら、このキラキラした景色ともしばらくお別れか…と少し感慨深くなった。

 

ステージで輝くジャニーズのアイドルたちをしっかりと目に焼き付けてから、

いよいよ半年間の山小屋勤務が始まった。

山小屋は一般的に春〜秋にかけてオープンしているところが多く、私が勤務した山小屋もそうだった。

まだ積雪の残る春の山を登り、無事に山小屋へ到着すると、そこは見渡す限り山と木々。

 

横アリも行けない。Myojoも買えない。少クラも見れない。

当たり前だったオタ活は遠いところへ行ってしまった。

新しい日々が始まった。

 

山小屋での毎日は、ざっくりとこんな感じ。

3:30 起床

4:30 宿泊者のお見送りなどの業務

6:00 朝食

日中 調理、清掃、店番などの業務

19:00 夕食

20:30 就寝

 

このように超早寝早起きライフで、

残業三昧だった日々と比べると超絶ド健康生活だった。

 

ネットが全く使えないかもしれないという覚悟もしていたが、

幸い、特定の場所へ出れば電波を拾える環境だった為まったく下界の情報が入らないということはなかった。

私はTwitterのヘビーユーザーだったため、これには一安心だった。

 

しかし電波が拾える場所は限られているため、これまでの生活通りネット三昧という訳にはいかなかった。

毎晩、歯磨きを終えて寝る前に電波が通じる場所へ出て、Twitterのタイムラインを読み込んでから布団に潜り、今日あった世の中及びジャニーズの動きを把握してから眠りにつくのが日課となった。

 

電波の届かない布団の中では情報を深堀できないため、一通りタイムラインを追ったらあっさりスマホの画面を消して眠ることができた。

完全に情報が遮断されるわけではないが、気付いたらネットサーフィンして夜更かし…なんてこともない、非常に健康的なインターネットとのお付き合いが実現した。

 

この調子なら半年間やっていけるかもしれないな、と思った。

 

 

■悲劇

小屋に来て数ヶ月が経った頃。

 

いつものようにトイレ掃除をしていた。

掃除中はスマホを持たないことが多かったのに、なぜかこの日はスマホをズボンのポケットに入れたままだった。

だいたいもう察しているかと思いますが、和式便器の裏側を磨こうと屈んだ時、

 

スマホがポケットから落ちた。

 

チャッポン!

 

と着水する音を聞いて「ギャーーーー!!!」と雄叫びを上げながら反射で便器に手を突っ込んでスマホを救出したが、手遅れだった。

いくら乾かしても、私のスマホが息を吹き返すことはなかった。

 

他に電子機器は持ってきていない為、スマホの水没はつまりインターネットの喪失を意味する。

 

強制デジタルデトックスの始まりだった。

 

 

■異変

そうは言っても、これはこれで良い機会なのかもしれないとも思った。

山小屋に来ても電波を拾いに行ってまでSNSを続けていたけれど、これを機にSNSへの執着を絶って一皮剥けた人間になれるかもしれないと。

そう思うとこの状況も楽しめる気がして、1~2日はインターネットから解放された生活を楽しんだ。

入眠前にTwitterを眺めなくなった分、なんとなく寝つきも良くなった気がした。

 

 

しかし、異変はすぐに訪れた。

 

なんだか気持ちがムズムズする。

 

Twitterが…)

 

Twitterが…見たい!)

 

眠る前に今日あったことを知ることができないもどかしさ。

ちょっと呟きたいなと思ったことがその日のうちに呟けないもどかしさ。

 

寝る前のタイムライン熟読タイムがいかに自分にとって大きな存在であったかを思い知った。

体が強烈にインターネットを欲している。

そうは言っても無い袖は振れない。

無いスマホでは電波を受信できない。

 

執着を振り切るように強引に目を閉じて眠りについた。

 

そしたら、夢の中でTwitterをしていた

夢の中の私は画面を無限にスクロールしまくって「やった!やった!Twitterができるぞー!!!!」と大喜びだった。

タイムラインに流れるおもしろツイートをふぁぼし、ライブのレポを読み漁り、

久しぶりに読むジャニーズwebの連載の数々にも歓喜していた。

 

 

そして目を覚ます。

そこにはTwitterもジャニwebも無い。

聞こえる鳥のさえずり。木々がざわめく音。

 

インターネットのない世界に落胆する。

 

 

 

■変化

スマホ水没から2週間程。

 

スマホ水没直後は完全に禁断症状を起こしていた私の脳も、この頃になると次第に状況を受け入れていった。

夜は歯磨きをしながらTwitterを読み込む代わりに満天の星が輝く夜空を眺めたりした。

日中の休憩時間は外に出て、ゆっくりと流れる雲を見た。

小屋に誰かが置いていった本を読み漁り、散歩をよくして、季節の花を愛でた。

 

夏を越え、少しずつ紅葉し始めた山は本当に美しかった。スマホが無いから撮影も共有もできないのが寂しかったけど、そのぶんしっかりと自分の目で美しい景色と空気を堪能した。

 

 

山小屋には、数ヶ月に1度のペースでヘリが飛んでくる。食料や生活用品を届けてくれるのだ。

その荷ほどき作業をしていた時、キャベツを包んでいた新聞紙に私の推しの1人であるKAT-TUNの上田くんの姿があった。

ドラマの出演が決まったらしく、それを伝える記事だった。

久しぶりに見る上田くんも可愛い顔をしていた。

「そうかあ。ドラマかあ」

TwitterやLINEで速報を知ることはできなかったけれど、穏やかな気持ちでシワシワになった新聞の記事を読んだ。

 

 

 

■少クラ受信事件

私が勤務していた山小屋では、BSに限ってテレビを見ることができた。

そうは言ってもテレビは共有スペースに1台設置されているのみ。

このテレビは普段殆ど使われることはなく、BSで山歩きの特集等の放送がある際にたまに電源が入れられる程度だった。

 

ある日曜の午前のこと。

土曜日はやはりお客さんが多いので、日曜の朝はスタッフ一同ほっと一息をつく時間だった。

みんなでお茶を飲んでいると、スタッフの1人が「久しぶりにテレビでも見てみようか」とテレビの電源をつけた。

するとそこには歌い踊るジャニーズJr.の姿があった

 

日曜の朝10時、テレビに映った番組は「少年倶楽部<再>」だった。

 

ギャン!!!!!

 

となった。

あらゆるジャニーズ情報から遮断された状況で、数ヶ月ぶりに見るザ少年倶楽部

カラッカラの心に染み込んでいく、キラキラ衣装、歌って踊るジャニーズの笑顔。

 

これはまさに呼び水。

砂漠でうっかり舐めてしまった1滴の水。

 

飲まないままでいれば、水のことなんか忘れたままで、平気だったのに…!

 

リモコンを持ったスタッフは呑気に「あ、この番組知ってる。“少クラ”ってやつだよ。友達が好きで昔見せられたなあ」とか言っている。

ジャニオタであることは伏せていた私は「へぇ~そうなんですね…こういう番組が…あるんですね…」とか言いながら画面をガン見していた。

 

手汗と動悸が止まらない。

 

他のスタッフが「なんか他の見ましょうよ」と言ってチャンネルが変えられるまでの間、なぜだか生きた心地がしなかった。 

 

この数ヶ月で自分は完全にインターネットとジャニーズへの執着から解放されて、言ってしまえば解脱したような気になって過ごしていた。

しかしそれは間違いだった。

久しぶりに摂取した動くジャニーズに、脳からアドレナリンがドバドバ排出されているのを感じた。

久しぶりに見るジャニーズ、めっちゃ良い!いわちの笑顔、可愛い!この気持ち、Twitterで呟きたい!!!

チャンネルが変えられても、しばらく衝動は止まらなかった。

結局のところ、強制デジタルデトックスによって自分の中のあらゆる欲望にラップが掛けられていただけで、本質的なところは何も変わっていなかったのだ。

 

 

■下山

秋が深まった頃、半年間の勤務を終えて無事に下山した。

予定通りぼちぼちの金額が貯まったが、それ以上に山の中という特殊な環境で学べることも多かった。

調理や掃除のコツ、珍しい花や虫の名前、山に登る時の心がけ、学べたことはたくさんあった。

そして何よりの学びは、ちょっとやそっと山に篭ったくらいじゃオタク根性は変わらないということだった。

 

山から降りたあと、スマホが無いから公衆電話で友達に連絡して家に泊めてもらった。

友達の家で久しぶりにテレビを見たらケンティーが映っていて、やっぱり下界しか勝たん。と思った。

 

おしまい。 

南寧の元・赤西担のこと

ただの思い出話です

 

この間、夜中にSNSのタイムラインを眺めていたらこんな投稿があった。

投稿者は中国人の友人、Aちゃんだった。 

 

一点都不想是明天要早起的人

突然刷到这个

当年真是很迷

老阿姨的青春

 

添付にはドラマ「ごくせん2」のキャプチャ画像が数点。

 

日本語にすると、「明日早起きしたくないよ~。てか突然思い出したんだけど、あの時は本当にこれに夢中だったわ。おばさんの青春だよ~」という感じだと思う。(違ったら教えてほしい)

ごく出アラサージャニオタの私は「わかる~」の気持ちでイイネボタンを押した。

 

 

Aちゃんとは2017年の冬、中国南部の広西チワン族自治区・南寧で出会った。

 

当時私は長年の夢だった、ざっくりとユーラシア大陸横断する長期旅行の真っ最中で、前泊地の深センから南寧へは夜行列車で向かった。

(南寧自体に目的があったわけではなく、次の目的地であるベトナムハノイへ行くには南寧から列車かバスを使うのがスムーズだった。)

まだ日も出ていないド早朝に南寧駅に到着して乗務員に「南寧!南寧!!!!!」と叩き起こされたのを覚えてる。

「叩き起こされた」という比喩ではなく、文字通り叩いて起こされた。

起こされたあと何か小さな物体を投げつけられて「何だこれは?」とよく見たら、乗務員に預けていた切符がクッチャクチャに折り曲げられたものだった。

これが人民鉄路の洗礼か!と思った。

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ド早朝の南寧駅

 

列車を降りて散々道に迷って、どうにか予約していたホテルにチェックインした。

同じ宿に泊まっていた南京から旅行に来ているという大学生の女の子二人組と話していたら「これからこっちに住んでる友達も交えて朝食を食べに行くから一緒にどう?」と誘ってもらい、一緒にレストランへ向かった。

そこに居たのがタイトルの元赤西担、Aちゃんだった。

 

 

現地式の大量の豪華な朝ごはん(ブランチのような感じなのかな)を食べながらいろいろおしゃべりして、Aちゃんは私と同い年だということが判明。

Aちゃんは明るくオープンな性格で、すぐに仲良くなれた。

せっかくなので今日はこのメンツで遊ぼう!ということになり、4人で映画を見たりハイキングをしたり、楽しく過ごした。

 

ハイキング帰りに皆でバスを待っていると、Aちゃんがおもむろに「彼のこと、知ってる?」とスマホ画面を見せてきた。

そこに映っていたのはPだった。

 

私はジャニオタなので、「やまぴーやんけ!!!」といささか興奮しながら「もちろん!」と返すと今度は「じゃあ彼は?」と見せてきたのが亀梨和也だった。

 

当時は1mmも中国語を話せなかったから、「オフコ~~ス!アイ ノウ!アイ ライク カメ トゥ~~!!」とか言った気がする。興奮。

そしたら「ほんと?でも私が一番好きなのはね〜、」と見せて来たのが、赤西仁だった。

 

もちろん知ってるよ〜!私も好き!!!と答えると

「本当?Akameって良いよね〜!!!」とAちゃん。

 

これにはもう、思わず手を差し出して握手を求めてしまった。

Aちゃんは戸惑いつつも握手に応じてくれた。

亀梨赤西コンビは日本では仁亀と呼ばれるけれど、海外のオタはAkameと呼んでいたりする。

私はAkame呼びに対して「羽振りの良いなんか強そうな画面の向こうの海外のオタが使っている言葉」みたいなイメージを漠然と持っていたので、目の前にホンモノのAkameユーザーがいる事実にちょっと感動した。

 

話を聞くと、当時中学生だったAちゃんは何らかの手段(!)で「ごくせん2」を見てKAT-TUNファンになったらしい。

つまり、ごく出だった。

「マジかよ〜〜!私もごくせん見てたしKAT-TUN好きだよ~!」と興奮のままに告げると、「そっか〜。でも私がすっごく好きだったのは昔のことなんだ」という。

 

過去形なのは、赤西くんの結婚をきっかけに担降りしたかららしい。

「結婚はいいけど、相手が黒木メ●サなのが気に入らない!もっと可愛い子と結婚したら良かったのに!」って軽くキレてて、それはそれでなんか良かった。

“Akame”を追いかけたオタクは、そういう強気な感じが似合うぞ!と勝手なことを思った。

 

そんなわけで10代の頃が一番力を入れてファンをしていたようで、「JINが載る雑誌はあらゆる手を使って全部買った。彼には本当にたくさんのお金を使った」と遠い目をしていた。

雑誌を買う、と言っても私が近所の紀伊国屋書店に行って雑誌を買うのとはワケが違う。

中国で、しかも上海や北京のような大都市とは言えない地域で日本の雑誌を買い集めるのは難易度も掛かる金額も桁違いだったと思う。

 

「私は今でもコンサート行ったりするよ!」と言ったら「あ、まだそんな好きなの!?w」って、とっくにオタ卒した友達と久しぶりに会ったときと同じ反応されて笑った。こういうのは万国共通なのか。

 

翌日、大学生2人組は昆明へと旅立ったので、Aちゃんに南寧の街を案内してもらって遊んだ。

火鍋を食い、ゲーセンで遊び、オシャレなカフェで茶を飲み、マーケットを散策し、1日中おしゃべりしていた。

私はすごく人見知りするし英語も中学生レベルなのに、Aちゃんとはずっと喋っていた。不思議だ。

 

そして南寧を離れる前日の夜、Aちゃんが仲間と経営しているレストランに招待してもらった。

(Aちゃんはプロの料理人でめちゃめちゃ料理上手なうえに経営者だった。すげ〜)

「うちの店には日本のSAKEがいっぱいあるんだよ〜」と言っていた通り、日本酒や焼酎の品揃えも豊富で、日本食メニューもたくさんあった。

日本を出て1か月も経っていなかったけど既に日本食がメチャクチャ恋しくなっていたので、Aちゃんが作ってくれた味噌汁の味にちょっと泣きそうになった。

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どう見ても茶碗蒸し用の器だったが、そんなことはどうでもいい



ここでもいろんな話をして、2005年頃のKAT-TUNや赤西くんの写真にキャーキャー言って盛り上がったり曲を流したりした。

Aちゃんは赤西担は降りたとはいえ今でも赤西くんのweiboはチェックしているらしく、

JINは中国に来ても上海だけでしょ、そこまでは遠くて行けないや」と言っていた。

南寧から上海は2000kmくらいある。中国はデカイ。

 

味噌汁以外にも焼きうどんやらだし巻き玉子やら色々とご馳走になり、タダメシ食うわけにはいかん!と手伝いを申し出て、クリスマスが近かったから店の飾り付けを手伝ったりもした。

結局は手伝いもそこそこに他のスタッフとおしゃべりしたり、偶然お店に来ていた日本語科に通う学生さんと喋ったり、何故かけん玉で遊んだり、賑やかで楽しい夜を過ごした。

 

帰りはAちゃんが原付の後ろに乗せてホテルまで送ってくれた。

初めてのノーヘルでなかなか怖かったけど、夜の南寧の景色は綺麗だった。

カメラを取り出したいと思ったけど流石に怖かったから、気合いで景色を網膜に焼き付けた。

 

次の日、国境を越えるバスでベトナムハノイへ向かった。

バスは信じられないほどスピードを出していて、中国に法定速度という概念はあるのか?と不安になった。

爆速で流れる景色を見ながら、別れ際にAちゃんから貰った小包を開けた。

中には手作りの抹茶クッキーが入っていた。そういえば「クリスマスに店で配るためにクッキーを焼いた」と言っていた。

 

クッキーを頬張りながら、なんだか不思議な時間だったなぁとしみじみ考えた。

海を隔てた場所で、同じ時に同じアイドルを夢中になって、その後偶然出会って、同じものを見てキャッキャと盛り上がった。

そんなこともあるんだな。

永遠の新規同士、末長く仲良くできたらいいなと思った。

おしまい。

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13時間かけて北京で映画「少年たち」を観てきた

 

文章書くのあんまり得意じゃないんですけど、こういうことは多分この先無いだろうなぁと思うので記念に書いてみることにしました。

お時間があったらお付き合いください。

(!)この記事は映画のネタバレを含みます。

 

 

まず私について簡単に。

10年選手の20代後半ジャニオタです。

ここ数年はSixTONESの現場によくお邪魔してたのですが、なんやかんやあって今年から中国(上海)に住んでおります。

あ〜あ、しばらく現場はお預けだな~~~。

映画「少年たち」も観に行きたかったな~~~。などと思っていたところ、 こんなニュースが。

 

eiga.com

 

マジ????中国で少年たち観れんの???

てかジェシー中国来んの!??

 

これは思ってもみなかった展開。

でもな~

さすがに北京までは行けないわ~(上海⇄北京はおよそ1300km)

 

と思っていたのですが、Twitterを眺めていると連日少年たちの感想・考察が溢れていてとっても楽しそう。

ジャニオタとして、このビッグウェーブに乗らなくていいのか?エガオが怖いってなんだ?夢・恋・桜が一体どうしたっていうんだ?

あと気になっていたのがジェシーは映画でも死んでしまうのか問題。少年たち(済)の友達にネタバレを聞いてしまおうとも思ったのですが「それ、本当に私から言っていいのか?」と問われ、考え抜いた結果…

やはりこの目で確かめるしかない。

という結論に至りまして、北京行きを決意しました。

 

でも映画祭のチケットの買い方なんて知らないよ〜〜!だったのですが、自分なりに色々と調べてアプリ等ダウンロード&weiboの中国スト担が「チケット攻略法」なるわかりやすいまとめを作ってくれていたのでそちらも参考にしつつ準備を進めました。

 

そして北京国際映画祭公式からアナウンスが出ました。

「少年们(少年たち)のチケットは4/12の12:00に発売開始です」

北京国際映画祭で少年たちは3回上映されましたが、そのうち2回は平日の上映。

わたしが行けるのは土日のみ。となると、4/14(日)の上映しか選択肢はありません。しかもジェシーが登壇するのもこの14日の上映!尚の事ここを狙っていくしかありません。

ていうか初回の上映がチケット発売日の2日後て。直近すぎるだろ!

 

 

迎えた決戦の日、4月12日。

チケットは先着順で、日本の映画チケット予約システムと同じように好きな座席をタップして決済画面に進む方式です。

スマホ充電、OK。

Wi-Fi、OK。

机の前で正座して12時を待ちます。

 

……12時!!

即アクセスして空いてる座席をタップするも、

 「啊呀,这个座位已经被人选了(あいや〜、その席は選択済みですよ〜)」の表示。

めげずに次をタップ!「啊呀,这个座位已经被人选了」

タップ!!!「啊呀,这个座位已经被人选了」

タップ!!「啊呀,这个座位已经被人选了」

 

そんなことを繰り返しているうちにどんどん座席は埋まっていき、ついに満席になってしまいました。

後でネットニュースを読んだら2分で完売したそうで。そりゃ取れない。

中国のジャニオタたちのポテンシャルをナメてたわ…とションボリしつつ、10分ほど経ってから「キャンセル出てたりなんてしないよね~~…(チラッ)」という気持ちで再度アクセスしたところ、

2つだけ空席が!!!!!!

 

これは!!!!と思い片方をタップするも「啊呀,这个座位(ry」。

ですよね~~~!!!!と思いつつもう1つをタップしたところ、

ついに決済画面に!

ガッツポーズです。 

これで北京で「少年たち」を観ることができます。

支付宝(このために登録した)でサクッと決済。中国のスマホ決済システムは本当に便利。 

 

さてチケットは手に入った。次はどうやって北京へ向かうのかです。

初めての北京だしせっかくだから観光も少しはしたい!でも月曜の朝までに上海へ戻らなければならない。土日で効率良く移動するにはどうしたらいいのか。

・飛行機は直近すぎて席も埋まっているし、空港〜市街地までが遠い。

高速鉄道だと5〜6時間で移動できるが日中の移動になるので時間が勿体無い…

そこで出した結論が以下。

金曜(今日)の夜に夜行列車で上海発→朝に北京着(所要時間13時間

日曜の夜に同じく夜行列車に乗って、月曜の朝に上海へ戻る

 

というわけで今夜発の寝台列車の切符をさっそく購入。

お風呂に入って荷物を詰めて、列車で食べるご飯を買い込んで鉄道駅へ向かいます。

 

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中国は基本的にいつでもどこでも混んでいますが、この日は週末ということもあって座席は満員でした。


夜汽車。Night Trainですね。

中国の長距離列車には給湯器がついているのでお湯を自由に使うことができます。ありがたい。

買っておいたカップヌードルを啜ってさっさと布団に入り、同じコンパートメントのおじさん2人のおしゃべりをBGMに眠りにつきました。

 

翌朝は6時過ぎに目が覚めました。

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なんだかよくわかりませんが、映画「少年たち」を見に行く途中の風景です。

 

そして走ること13時間。

 

つきました。北京駅です。

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思いっきり通行人の顔が写ってしまったのでパンダで隠してます。

人が多いな〜!!あとこの日の北京はとても空気が汚かったです。

 

少年たちの上映は明日ですが、北京に着いてすぐに会場の「中国电影资料馆艺术影院」へ向ってチケットを発券&会場までの道順も確認しておきました。

心配性なのです。

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そして無事手に入れました!少年们のチケット! 

 

その後は動物園でパンダを観たり、天安門広場へ行ったり、映画祭の開幕式をネットで観て士気を高めたりして過ごしました。

 

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パンダは可愛い。

 

 

そして迎えた4月14日。

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来ました。昨日ぶりです、中国电影资料馆艺术影院。

この日は昨日と打って変わって快晴で、空気もとっても澄んでいました。

少年たち&ジェシーの晴れの日にふさわしい天気です。

 

開館時間より早く着いてしまったのですが、映画館の前には同じく開館を待つファンがたくさんいました。

この時点で「ここにいるみんな、『少年たち』を観に集まったんだ…!」と早くも勝手に胸熱になってしまいました。

 

開館時間になったのでロビーへ入ります。

するとメンバーカラーのお花がずらり!!!

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ジェシーファンのみならず、他の5人のファン一同、そしてSixTONESファン一同としてのお花もあり、計7個ものフラワースタンドが飾られていました。

中国のファンの愛を感じてまたグッときてしまいます。

 

でも、それだけじゃなかったんです。

有志のファンがこんなものを用意してくれていました。

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手前にチケットが写っていて見えづらいのですが、片面にはジェシーの名前、もう片面には「少年たち」の文字が大きくプリントされています。デザインもかっこいい!

すごい。中国のファンめちゃめちゃ気合い入ってます。

 

まだ上映前でしたが中国のファンの愛と気合いを見ただけで「この場に来れて本当に良かった」と感慨深くなってしまいました。

会場から溢れるほど女の子がたくさん集まっている様子が気になったのか、通行人と中国人ファンが「誰か来るの?」「日本人のかっこいい俳優が来る!」なんて話していたのもなんか良かったです。

 

館内に数カ所あるサイネージには、おしゃれな枠つきのメインビジュアルが!微妙に収まりが悪くて演者の顔が隠れてるけど、細かいことは気にしないのが中国流なのでしょう。

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マスコットと撮った写真しか残ってなかった…。

 

そしていよいよ、映画本編の上映です。

映画の感想は長くなるので割愛しますが、すばらしい映画でした。全てが唐突、理不尽。何もわからなかったことだけがわかる。

ツッコミどころ満載映画なのに最後のジャニーさんの癖詰め込みまくりショーで「ジャニーズ最高!!!!!!!!」というテンションにさせられて、あのガバガバのストーリーすらも生きることの理不尽を伝える人生訓のように思えてきてしまう。

オタクとあれこれ喋りながら観たい映画ですね。日本にいたら応援上映行ってみたかったなぁ。

気になっていたジェシー(ジョー)の安否についてもこの目で確認できてよかったです。

 

上映中、会場内は何度も笑いに包まれたり「これは…」とザワザワしたりしていました。その中でも一番の盛り上がりを見せたのは、ジョーがおじいちゃん看守から大福貰うシーンで発した「はい、父がアメリカ人です」でした。そこか。

ちなみに字幕は英語と中国語の2種類で、スクリーンに英語、スクリーン下の字幕装置に中国語が流れる方式。各字幕を見比べると「この言い回し、英語/中国語だとそうやって表現するんだ!」っていう発見もあって面白かったです。

 

そして上映後、待ちに待ったジェシーの登壇!

この日のジェシーちゃんの出で立ちは皆さま各ニュースでご覧になっているかと思いますが、おしゃれなスーツをビシッと着こなしていてめちゃくちゃかっこいい。

デコ出しヘアーにも気合を感じます。

 

まずは英語と中国語で挨拶。

一生懸命覚えてきたであろう中国語をがんばって思い出しながら喋る姿が非常に可愛い。会場全体が「加油ジェシー!」という気持ちで見守っていました。

挨拶の最後には「ズドン!」もやってくれました。中国でズドンを観れるなんて!感激。

 

続いて挙手制の質問コーナー。

結構時間をとってやってくれたのですが、個人的に印象的だった質問↓↓↓

(質問および回答はニュアンスです)

 

★その1

Q:なぜ横山くんは最後死んだのですか?

A:世界のジャニーが決めたことなので僕たちは知りません(笑)。舞台は僕が亡くなってたんですけどね。命の大切さを伝えるためにジャニーさんが考えたんじゃないかと。

あの死の説明をジェシーに求める。笑

 

★その2

Q:2020年に向けて、アジア進出など今後の展開を教えてください。

A:僕にはわからないですけど、他の事務所とか色々あるので…(略)。皆さんが事務所に声を送ってください笑。皆さんがいないと僕たちも現れませんので。

「僕が亡くなったんですけどね」とか「皆さんがいないと僕たちも現れませんので」とか、なんか頭に残る言い回しするな~って思った。

 

★その3

Q:北京に来て何か食べましたか?

A:昨日の夜、北京ダックを食べました。

Q:私も昨日食べました!

A:じゃあ一緒に食べればよかったね〜wwww

壇上では基本的には落ち着いて話していたのだけど、この時だけはいつものおふざけジェスちゃん(?)のトーンだった笑

 

★その4

Q:今後の仕事の展開について教えてください。

A:(演技とか歌とか)色々な仕事をしていきたい。そして世界が平和に最終的になれば。(会場笑う)笑ってますけど、ホントですよ。

個人的にこれがすごく印象的で、ジェシーはジャニーイズムの正統継承者なのかもしれん…とか思った。

 

 

中国語、日本語、英語とそれぞれ好きな言語で質問していたのが印象的でした。

ファンから「英語で質問してもよろしいでしょうか?(英語)」って言われて「もちろん大丈夫ですよ、どうぞ(英語)」って返してたの、かっこよかったな〜。

 

あと、通訳の人が「ジャニーズ事務所」というワードを「御社は〜」って訳すからジェスが事務所の広報か何かみたいな雰囲気になっててちょっと面白かったです。

(とか言ってますが、weiboなどを見る限り通訳の方はニュアンスをかなり上手に読み取って翻訳されていた凄腕通訳者さんだったようです。私は殆ど中国語できないのでわかりませんでしたが…。)

 

「そろそろお時間ですので…」となって締めの挨拶。

そこでも最後に1発「せ〜の!ズドン!」

退場する前に客席に降りて更に「せ〜の!ズドン!」からの何故か「じゃあもう1回!ズドン!」のWズドン。

この日、合計4ズドンもやってくれました。

いや〜、中国でジェシーと一緒にズドンできるなんて思ってもみなかったなぁ〜。うれしかったです。

 

終了後、会場を出て街中を歩いていると「北京国際映画祭」と書かれたフラッグがそこかしこに飾られていて、こんな大きなイベントでジェシーは壇上に上がったのだな~と感慨深くなりました。

貴重な中国デビュー(?)を見届けられて、本当に幸せでした。

往復26時間掛かったけど、来てよかった。

 

が、しかし。 

実は金曜日の夜に上海の自宅を出て鉄道駅へ向かう途中で、すごいことに気づいていました。

上海⇄成田のフライトって、3時間なんですよね。当初の目的であった「劇中のジェシーの生死をこの目で確認する」という意味では、連休を利用して

1回日本帰って映画館行ったほうが早かった。

 

とはいえ、今回北京へ行ったことで海外でもジェシーSixTONES、そしてジャニーズのアイドル達はこんなにも愛されているということを身を以て実感することができました。

少年たちとジェシー、中国へ来てくれてありがとう。中国のジャニオタの皆さん、暖かく迎えてくれてありがとう。

最高の平成の現場納めになりました。谢谢!

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